チベットのラサは標高3600m。大概の日本人はここで高山病の症状を味わう。おまけに夏は昼と夜の寒暖の差が著しい。折悪しく冷たい夜風で風邪を引いてしまった私は風邪の熱と高山病の頭痛が重なりはなはだ体調が思わしくない。でも、折角来たからには見るべきものは見ておきたい。
そんなわけで滞在の最終日、重い足を引きずりながら未見の西蔵博物館にやってきた。ところが、どうしたことか入口が見当たらない。民族色豊かな建物の階段を上がった入口と思しき正面には緞帳様の厚手の幕が吊ってある。ここが入口とは思えず、かといって他に入口らしきものも見当たらない。キツネにつままれたような気分だった。
熱で思考力の鈍った頭を無理に働かせたら、ふと、今まで見た民家で入口に幕を下ろしてあったのを思い出した。「さては」と思い、緞帳を恐る恐るめくってみたら、なんのことはない、そこがやっぱり入口だった。
考えてみれば、サインとは一種の約束事が前提になる意思疎通の手段。チベットのサインを読み取るにはチベットの風俗、習慣を理解する必要があったというわけだ。
(2003年 1月)
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